どん底のブログ

2007年12月09日

朝鮮水軍の戦艦「海鶻船」描いた図画が初公開〜亀甲船から150年後に建造された戦艦は、ハトのよう

【2ちゃんねる 東アジアnews+】

朝鮮水軍の戦艦「海鶻船」描いた図画が初公開
http://www.chosunonline.com/article/20071209000018

 豊臣秀吉の朝鮮侵攻で李舜臣(イ・スンシン)将軍の亀甲船が活躍してから150年後に建造された朝鮮水軍の戦艦は、ハトのような形をしていた!?

 朝鮮王朝後期の戦艦として、「朝鮮王朝実録」に記録されている「海鶻船」の姿を描いた図画が初めて公開された。「海鶻」とは、「海のハト」や「ハヤブサ」を意味する。
韓国古書協会のコ・チャンソク元会長は、最近出版した『朝鮮水軍と海の遺物の図録』 (チャンボゴ刊)で、自ら所蔵している「海鶻船図」を公開した。

 18世紀に描かれたと推定されているこの図画では、「海鶻船」というタイトルの下に描かれた船の前の部分が鳥の頭のような形、また上の部分は鳥の羽に覆い隠されたような形になっている。
その下には「本板(床)の長さは7把(1把=10尺)5尺、後部の長さは9把3尺、幅は2把5尺、高さは2把1 尺。丁卯年(1747年と推定される)3月○日に建造に着手し、費用はコメ80石6斗5合」と記されており、全羅右道の公印が押されている。


http://file.chosunonline.com//article/2007/12/09/909617960895358596.jpg
1747年3月、全羅道右水営が作成したと推定される文書に収録されている、朝鮮水軍の戦艦「海鶻船」の図。
/提供=コ・チャンソク氏

 「朝鮮王朝実録」の英祖16年(1740年)6月18日の項目には、「全羅道左水使の田雲祥(チョン・ウンサン)が海鶻船を建造した。船体は小さいが、軽くて速く、風に対する心配がない」
「(王は)統営と複数の道の水営に海鶻船を建造するよう命じた」と記録されている。
また、22代国王・正祖の代(1776‐1800)に編さんされた『全羅道右水営誌』によれば、海鶻船には56人が乗ることができたという。学界では、秀吉の朝鮮侵攻当時の板屋船に比べ船体は小さいものの、運用しやすいため、中・小型の軍艦として活躍した、との見解を示している。

 だが、これまで海鶻船の姿を描いた当時の資料は発見されていなかった。100年後の1855年に編さんされた『武備要覧』で、中国の『武備志』を参考に描かれたとみられる海鶻船の図が掲載されているが、それは今回公開された資料に描かれた海鶻船とはまったく違うものだった。海軍士官学校博物館のチョン・ジンスル企画室長は「文書の出典や時期は確実なものではないが、朝鮮王朝後期の主要な軍艦だった海鶻船の姿を想像できる唯一の資料だ」
と話している。なお、『朝鮮水軍と海の遺物の図録』には、このほかにもコ・チャンソク氏が所蔵する「忠武公(李舜臣将軍)の状啓」「朝鮮司空名簿」「海東諸国記」などの資料が収録されている。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS



>朝鮮水軍の戦艦「海鶻船」描いた図画が初公開
http://www.chosunonline.com/article/20071209000018

戦艦・・・悪いがどう見ても、スワンボートにしか見えん!


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posted by どん底 at 19:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 【朝鮮半島】 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
凄いですね〜想像図を「歴史」にしてしまう神経、歴史書が無いと言う事は楽な事です。
日本語の韓国の教科書を読んだ覚えが有りますが中世などは完璧に正史が無いもので判別のしようが有りません、最近韓国で木棺が出て来たと騒いでいますが、日本や中国と違い確実な資料が有りませんので、証明も出来ない、否定も出来ない、「自由」に作れるんですね、どんどん新作が出てくるでしょう。
Posted by 大和 at 2007年12月10日 16:26
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